2013年7月30日火曜日

【フジカ*火曜日の書架】「風立ちぬ」に視た「コウルリッジの夢」




火曜日の
                     






   とクリエイティブ
美しい夢とは、呪いなのか。           
            



・・・それにしてもロボは、どこへいったのだろうか。



あ、こんばんは。うつつな男、藤川です。


もう火曜日かッ!
でも夢なんて、相変わらず視ていません。

あ、でもでも話は変わりますが
宮崎駿さんの「風立ちぬ」は観ました。



というのも、わたしはすごい早さで観に行っていた
木村さんから話を聴いて、いても立っても風立ってもいられず。
映画館へと足を運んだのでした…。

これが、どえらいだったのよ。
なので、今回はこの話します。



だめだよう
するんだよう
するってきめただよう

キャッ キャッ 





この映画、みなさんもうご覧になりましたか?


ここでいつものように怒とうの長文で
感想を書き連ねてしまうと、
まだ観ていない方に
先入観をば与えてしまうかもしれませんで、
今回はひとつだけ言わせてください。


この映画では、ある「夢」が描かれます。

”飛行機の設計”によって共有された
主人公と、とある有名な設計士の
恐ろしいほどに甘美な、人生の――


それは、夜の眠りの中で視る「夢」でもあり、
また人生を通じて焦がれ続ける、
現実で実現したい「夢」でもあるのです。


この映画に於けるそんな「夢」の描写は、
それはそれは幻想的で美しい。

しかし、それと同時に
たいへん恐ろしいものでもあったように思います
(それはまるで呪いのような)


理想現実

その永遠の二律背反
せざるをえない映画でした。


ぜひ、まだご覧になっていない方は
劇場に足を運んでみてください。




・・・あ、でもぜんっぜんエンターテイメントではなかった!!
キャッ キャッ ってなりたい人!

そういうのを期待するときついです。

キャッ キャッ

キャッ キャッ

あ、でもこの曜日のブログをお読みの方、
または上で書いたようなことに、
なにかしら反応した人は、大丈夫だと思います。

ぜひ!








・・・・・さて、といいつつも
やっぱりの話を書かねばならないよなあ・・。


そうですなあ・・。

では、今回は「風立ちぬ」でも描かれている、
夢の共時性というテーマ
(これが映画の主題ではないですが)で
思い出すエピソードをお話いたしましょう。





***********************






それはわたしの大好きなとある作家・・・

・・・が! 大好きだった(と思われる)、
とあるの物語。


さてみなさんは、というと
どんな逸話を思い浮かべますでしょうか?

有名なところだと、
中国で道教の祖として知られる思想家、荘子
「胡蝶の夢」がありますよね。



 ある日。わたしは、自分が一匹の蝶になって飛んでいるを視た。
 そして目が覚めると、わたしはまたわたしのままだ。

 いったい、わたしは何者なのか。

 わたしが、蝶になったを視ているのか、
 それとも、蝶がわたしになったを視ているのか

 

蝶が表現するのは
現実の同一性。



荘子が思ったように
どちらが現実なのか、ぼくらは
完全に定義することはできません。


さて今回ご紹介するのは、これと同じお話なんです。

コウルリッジという
イギリス・ロマン派の詩人による、
とあるの物語があります。

それはこんな話。




 男がある日、美しい花畑を歩いているを視る。
 男はたしかに、その場所へ行った。

 その証として、男は一本のを授けられた。

 男は、目を覚ます。
  
 そのとき、手の中には、
 とても美しいその花を見る――
 


どうでしょう。

この現実に影響する短い物語は、
ボルヘスという詩人が、
とても愛した物語としても知られます。


そんなボルヘスが指摘する、
コウルリッジについての
もう一つのエピソードがあります。



コウルリッジ『フビライ・ハーン』という
残しているのですが、このはタイトルのとおり、
ジンギスカンことフビライの宮殿を歌った

なんとこのは、体調を崩していたコウルリッジが、
薬を飲んで眠っていたときに視た
「夢」の中で作った、なのだと。


(ちなみに、
 このコウルリッジに視たフビライの宮殿は、
 実在しており、が出来た時点では、
 すでに廃墟となっていました)




妙なのは、この続き。


この宮殿の造営を命じたフビライも、
なんと自身のの中で、
造営前の宮殿を目にしていたというのです。

この宮殿は、それをそっくり
地上に再現して建てようとしたものだった、
というのです。


後の宰相の著作「集史」
その記述が存在しました。

ですが、この「集史」が発見・翻訳されるよりも以前に
コウルリッジフビライ宮のに視ており、
フビライを元に宮殿を造営したことを、
彼が知る事はなかったはず。




フビライで宮殿を視た。
コウルリッジで宮殿のを詠んだ。


このと宮殿にまつわる妙な符号。
ボルヘスによれば、これは

 「人間の魂に作用し、
  かつ広大な時間と空間を包み込む対照的な
 であり、

 「皇帝の魂が宮殿の崩壊後に、詩人の魂を通じて
  彼の大理石や金属よりも耐久性のある言葉
  宮殿を再建しようとした」と推測できること

 なのではないか、と言います。



さらにボルヘスは、こう続けます。

 「この二つの夢の類似は、
  ある超越者の計画性を推測させる」、と。

ある超越者
を通じて作らせた、
まるで神のような遠大なる計画だと。






この不思議なニつの夢の話を思い返すたびに、
わたしは常々考えることがありました。
それは、クリエイティブということについてです。


クリエイティブ

文学や音楽、映画にマンガ・・・
もちろんゲームなんかでも、
その作品を作った、クリエイターが存在しますね。

クリエイター=創造者


なんとも、傲慢な名前だと思いませんか?

創造主気取りの人間。



エッセイストの澁澤龍彦さんは、
いつかこう言いました。

「人間は、神の真似をする猿だと」

人間が作るものなど、たかが知れているのかもしれない。
いや、人間が作るものなど、
はなから、存在しないのかもしれない。

優れた芸術や文学、物語からは、
戦慄と感動
そして美しさを想起させられます。

こういった共通点を持った作品は、
ある超越者が、クリエイターを名乗る作り手たちの
を通じて語った作品。
作らされた作品なのだろう、と




とまあ、「風立ちぬ」に描かれた美しい夢の描写と、
それから“鯖の骨”への言及
(そういうの描写があるのでございます)を観て、

わたしはこのコウルリッジフビライを思い出し
そんなことを、考えた訳です。


嗚呼
風立ちぬみてくれれば、
わたしの言いたい事、わかってもらえると思うなあ・・

みてみて!



あ、せっかくなのでもう一つだけ。


わたし、ゲームでこの“夢”の感覚をきちんと描けているな、と
感心している大好きなゲームがあるんです。

それは、
『ドラゴンクエストⅥ 幻の大地』(スーパーファミコン&DS)



超有名作品ですが、ご興味のあるかたは、ぜひ。

現実の狭間で、本当の自分を探す物語。
こちらもすばらしいです。

「風立ちぬ」と併せて ぜひ!





それでは、今夜もいい

ラリホー

9 件のコメント:

  1. 風立ちぬ、今日見に行く!見に行くよ!
    ちょっと待って!

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  2. ヨシロウも語りたがっていることだし、明日観に行ってくるわね…。

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  3. すごい勢いで みんな明日 みにいくことになってるぞw

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  4. バルト9予約した!いってきます!

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  5. バルト・・きょう・・はやw 

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  6. 見てきた!色々話したいっ!

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  7. 私も一昨日観てきたわ。
    TOHO系の劇場で、TOHOのモーションロゴがピクミンとコラボしてたわよ。藤川は観た?

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  8. みんなぞくぞくとみてきたっ! 

    これは、どこかで木村さんを取り囲んで
    話すしかないですな・・


    あ、ポリ☆アンナ、
    ピクミンはもちろんしっとるですよー
    ニンドリにものってるですじゃw

    (かわいく振る舞っていて、ピクミンたちが
     食べられたりしないから安全に見られるコラボです)

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