フジカ*火曜日の書架
第八夜
ル ド ン の 視 た
黒 い 夢
ボンソワ・・・
月曜ポリ姐のあっさり味のまとめのあとは、
味付けが濃すぎて、しょっぱくてたまらない。
そんな火曜日の夢のコラムのお時間が、
今週もやってまいりましたね。
どうもこんにちは。
いつのまにかロボ操縦士ではなくなった、ただの藤川です。
さよなら、ロボ!
ぐすん。
さて、ですがわたしは相変わらずよ。
キャッ キャッ
涙をふいて、このマルスに魅入られし、
赤銅に鈍く輝く災厄の星の曜日に・・・
みなさまに、夢のお話をさせていただきますとも。
俗にいう通常営業で、ございます。
コンゴトモ ヨロシク お願いいたします。
そういえば・・通常営業と申しますと、
わたし藤川は、普段は
「ニンテンドードリーム」の編集者として
日々任天堂ハードのゲームの記事を
企画し執筆することを生業とさせていただいております。
そんな中ですが、
先日、とある取材で「静岡」まで
取材旅行にまいりました。
その際、取材を終えて帰りの電車で
静岡駅を目指していたところ
目に留まったのが、とある電車内の広告。
それは、静岡美術館にて
偶然にもわたしが愛してやまない
ある「夢にとりつかれた画家」の展覧会が
開催されていることを告げるものだったのです。
その偶然に、不思議な縁を感じたわたしは、
帰りの新幹線を遅らせて、
その展覧会に立ち寄ったのでした。
今回は、その画家――
「オディロン・ルドン」の展覧会
「夢の起源」展で感じたことを
お伝えいたしましょう。
現実の中で、生きていくのが嫌になりそうになる、
火曜日です。
しばし、夢と幻想に生きた画家の世界を
お楽しみいただければ幸いです。
********
■■
■■ 夢の画家 ルドン
このオディロン・ルドン、その人です。
幻想や夢を愛する方なら、知らない人はいないであろう、
幻想的なリトグラフで有名なこのルドンですが、
「夢」というキーワードと結びつけて、
一冊の本を思い出されるかたもいらっしゃるでしょう。
その本は、かのフロイトやブルトン、澁澤龍彦等も
愛読していたことでも知られる、
「夢」に関する奇妙な研究書。
そう、サン・ドニ伯爵の「夢の操縦法」。
この本は、「夢を見ている自分」を「自覚」しながら夢見できる、と
豪語したドニ伯が、自身の見た膨大な「夢」を記録、
「夢」は操縦可能であるとした・・・
まさに夢研究における「奇書」として有名です。
この「夢の操縦法」が、待望の邦訳がなされて現在は刊行中なのですが、
その装丁がルドンなのです。
はい、こちら。
↓
・・・実に美しい。
いやはや、Kindleがどうとか電子書籍がきてる! とか
大騒ぎする●×○*!な連中
(せいぜい読みもしない新書を何千冊も持ち歩くがいい!)には、
指紋すらつけてほしくないと思ってしまう程・・・
怪しく輝くすばらしい一冊だと思いますね。
おっと、暴言をたいへん失礼いたしました。
(暴言は、もっとエレガントに言ってのける
タンタンにお任せするといたしましょう)
さて、この表紙に刷られた絵こそ、
ルドン処女作のリトグラフ連作集「夢のなかで」の
第一葉「羽化」と題された作品なのです。
「夢の操縦法」の装丁に、
ルドンの「夢のなかで」が。
そして、今回わたしが観てきた展覧会のタイトルも、
また「夢の起源」でした。
ルドンには常に「夢」がつきまとう。
まさに、夢の画家と呼ぶべき芸術家なのです。
■■
■■ 夢の起源
そんなルドンは、日本人にはかなり人気の画家であるため、
わりと大型の展示企画が催されます。
というのも、ルドンの絵の多くは、
日本の岐阜美術館に収蔵されているため、
展示企画が立てやすいという背景があるのです。
ですが、今回の静岡美術館で開催された「夢の起源」展は、
始めてルドンの故郷、フランス・ボルドー美術館に収蔵されている
ルドンの初期作品に加え、
ルドンに影響を与えたとされる、その周辺(師匠など)の画家の作品も
一同に会するという、今までにない企画。
ルドンの人生を、
初期スケッチから、生涯最後に描いた未完の作品まで・・・
順を追って閲覧できる、まさしく夢の「起源」を追える
見応えある展示で、わたし大興奮でした。
1840年フランスはボルドーの、裕福な家庭に生まれたルドンは
ボルドーの画家、スタニスラス・ゴランの影響で絵画に惹かれたといいます。
そのゴランはこんな感じの風景画を多く残しています ↓
またその後は、同じくルドンに強烈なイマジネーションを与えた
植物学者、アルマン・クラヴォー
こういった植物のポタニカルアートは、後のルドンの版画へ影響が色濃くみられます ↓
そして、ロドルフ・ブレスダンからは、ロマン主義的な魂を学んだといいます。
わたしブレスダンの絵は始めてみたのですが、一発で好きになりました ザ・ロマン! ↓
そんなルドンの作品は、「黒」と「色彩」の時代、
大別するとこの2つに分けられます。
ルドンはその制作人生における前半は、
ひたすらにリトグラフ(石版画)で
黒い絵画を作り続けました。
ですが、その晩年は
一転した、溢れ出す色彩に彩られた
目もくらむ幻想的な絵画を残しています。
わたしは、そんなルドンの絵は、
どっちも好きでたまりません。
ですが、やはりこんな陰気な火曜日の書架の主としましては、
黒い絵の方に、ややシンパシーを感じずにいられないのもまた事実。
ということで、今日は
わたしが愛してやまない、ルドンの「黒い絵」。
その「黒い絵」をルドンがどんな気持ちを込めて、
描いていたのかを考えてみましょう。
その理由には、やはり「夢」と現実が関わっていたのです。
■■
■■ 現実に抗う 夢の「黒い絵」
ルドンが「黒い絵」を書いた理由。
それについては、ルドン自身が晩年に振り返って語っています。
「わたしは自然主義的な風潮に抗うために、非現実を描いていた」と。
実際に、若き日のルドンは、この自然主義という風潮が
どうも好きではなかったらしい。
いやー、いいですね。シンパシー、感じますね。
いやだもんね、目の前に広がる自然をそのまま受け入れる、
自然主義! 現実そのままなんてさ!!
こんな憂鬱な火曜日! 仕事したくない火曜日!
受け入れたくなんて、ないもの。ボクちん。
ファファファ・・・[ここでケフカ風の笑い声入る]
ゴホゴホ。
失礼。
とにかくルドンは、絵画における自然主義的な描写を嫌っていた。
野山で写生=アートという姿勢が嫌いだったということです。
ですが、そんなルドンも、
絵の勉強として、または非現実を描くために、
現実の描き方を知るということは大切だ、
とも語っています。
つまり、「夢」を描くには「現実」を描けてなんぼだ、
と考えていたのですね。
その証拠に、若い頃のルドンは、
自然主義的なスケッチをね、けっこう、描いてます。
こんな感じで木とかを描いてました。ちなみに岩場とかも描いています ↓
そういう主張をしてくたばれ自然主義だったルドンですが、
39歳になったときに、その思いのたけが充満した初の版画集を刊行しました。
その名こそ、『夢のなかで』。
現実に抗うために、現実を描く手法を学び、
その手法を駆使して、ついに彼は「夢」を描く
連作版画集を出版するに至ったのです。
まあ、この版画集は、11枚のリトグラフからなる画集で、
初版発行部数は25部。
そのほとんどが、親類縁者+知り合いに売られたという。
・・・・かなしいことに、
現実に対する、かなりささやかな反抗となってしまったわけです・・・・・
・・・ですが、これは現実との戦いにおける
敗北では、断じてない。
そうだ。
それから長い年月を経て、
ルドンのこの「黒い絵」たちは、
わたしのような夜の黒さに安らぎを覚える人々に、
深い「夢」と「幻想」の
イマジネーションを与えてくれることとなるのです。
■■
■■ みんなだいすき 黒い絵
まあ、売れなかった。
だが、見る人の心の深奥にこだまするささやき声のような、
強烈なルドンの「黒い絵」の連作たちは、
後世多くの人に影響を与え、
ルドンの見た夜と同じ夜を感じた作家たちに、
化学反応のようなものを残していくこととなりました。
あ、売れなかった『夢のなかで』ですが、
ルドンは、もちろんこれを作っただけで
現実に抗う「夢」である、「黒い絵」制作を
あきらめたわけじゃあ、ござんせん。
むしろ、もう作り続けた。
絵画史的には時代は印象派が
鮮やかな明るい絵を描くのが主流だった時代にも、
関わらず。
作ったといえば、ルドン自身が大ファンだった
かの幻想文学の大家、
エドガー・アラン・ポーの作品に、
勝手に挿絵を、いや!
挿しリトグラフを作ったりしていた!
はい、これ勝手に作った!
あああ、わかる! ルドンのポー愛が
つ、つたわってくるううううウッ!!!
おれも大好きだからなあ! ポー!!!!
↓
・・・・・
そんな彼の見た「夢」そのものである
黒い絵たちは、実際後に多くの作家に影響を与えました。
わたしは友人からよく
「主人公はお前に似ている」と
言われる物語があります。
それは、
ユイスマンスのデカダン小説『さかしま』。
ご存知のかたもいらっしゃるでしょうが、
ルドンの黒い絵を見たユイスマンスは、
さっそくたいへん気に入って、
この作品の挿絵をルドンに依頼した、
というのは有名なエピソードです。
『さかしま』の主人公、
デ・ゼッサント氏。
まあ確かに・・・
シンパシー、感じるよね。
インターネットとかSNSとかTwitterとか、
もうたまらなくたまらなく気持ち悪く感じるわたし
ネットで発言したり主張したり、ああ、キガシレナイ!!!
とまあ、こんな具合ですもの・・
(あ、『さかしま』は、ゼッサントという神経症の若者が、
郊外に一軒家を買って引きこもり、
そこでひたすら耽美な幻想に耽る、というお話。
このブログにシンパシーをお感じで、
未読の方がいらっしゃいましたら・・・
文庫版もありますので、どうかぜひご一読を)
っとまた余談でございました。
つまるところ、それほどルドンの「黒い絵」は、
現実に抗う、
夢や幻想の住人に愛されることとなったのです。
■■
■■ 溶け合う「夢」と「現実」
若い時分に、自然主義に反抗して
自然の絵を描き続け、黒い「夢」の絵にたどり着いたルドン。
ちょっとここで、こちらをご覧ください。
↓
これは、さきほども紹介した、39歳で出版した
初の黒い絵である『夢のなかで』の「表紙」です。
わたしは、展示会場でこの表紙をみたときに、
「・・・・おや?」と思いました。
なにか、見たことがある、と。
こんなブログの辺疆へと足をお運びになられる、
察しのいいあなた様なら、もうお分かりかもしれませんね。
そう。この表紙に描かれた木は、
ルドンが若い頃に自然主義を学ぶために描いていた木、
そのままなんです。
ですが、
『夢のなかで』と題した初の版画集の表紙には、
木のわきに「奇妙な人物」が描かれています。
(これまた、いいセンスすぎる!
ああ、ルドン大好きルドン大好き)
そんな、若い頃に描いていた
自然主義的現実の木を、
自身の「夢」の初版画集に
そっくりそのまま描いたルドン。
いったい、どんな気持ちで描いたのか・・・・
自然主義への反抗心の現れなのか。
それとも・・・
現実を描くからこそ、
夢が描ける。
ですが、そんな「黒い絵」を
描き続けたルドンは、ほんとうに・・
晩年には、信じられないくらいに
鮮やかで色彩溢れる絵を描く様に、なるのです。
「夢の起源」の展示は、
黒い絵の回廊を抜けると、
その鮮やかな色彩の回廊へと続きました。
その絵を眺めていて、わたしは
晩年は、まるでルドンは、
現実と夢が溶け合っていた風景を
見ていたのではないか、と感じたほど。
(あ、この「色彩」のルドンについては、
またいつか別の機会に、じっくりお話したいものです)
あっ! しかしながら、
あなたさま!
このマニアックアングラな書架のコラムには、
やはり黒の絵がふさわしい
とお考えですね。
ええ、ええ、わかっておりますとも・・・
今後も、ぜひどこかで展示がありましたら、
足を運んでいただいて、
この夜が凝縮したかのような、
「夢」の黒い絵を、
眺めてみていただければ幸いです。
“ 黒を尊重せねばならない。
黒 い 夢
ボンソワ・・・
味付けが濃すぎて、しょっぱくてたまらない。
今週もやってまいりましたね。
赤銅に鈍く輝く災厄の星の曜日に・・・
みなさまに、夢のお話をさせていただきますとも。
わたし藤川は、普段は
「ニンテンドードリーム」の編集者として
日々任天堂ハードのゲームの記事を
企画し執筆することを生業とさせていただいております。
先日、とある取材で「静岡」まで
取材旅行にまいりました。
静岡駅を目指していたところ
目に留まったのが、とある電車内の広告。
それは、静岡美術館にて
偶然にもわたしが愛してやまない
ある「夢にとりつかれた画家」の展覧会が
開催されていることを告げるものだったのです。
帰りの新幹線を遅らせて、
その展覧会に立ち寄ったのでした。
「夢の起源」展で感じたことを
お伝えいたしましょう。
火曜日です。
お楽しみいただければ幸いです。
■■ 夢の画家 ルドン
さてさて、
わたしが「夢の画家」と言われて最初に思い浮かぶのが、このオディロン・ルドン、その人です。
幻想的なリトグラフで有名なこのルドンですが、
「夢」というキーワードと結びつけて、
一冊の本を思い出されるかたもいらっしゃるでしょう。
愛読していたことでも知られる、
「夢」に関する奇妙な研究書。
豪語したドニ伯が、自身の見た膨大な「夢」を記録、
「夢」は操縦可能であるとした・・・
まさに夢研究における「奇書」として有名です。
その装丁がルドンなのです。
大騒ぎする●×○*!な連中
(せいぜい読みもしない新書を何千冊も持ち歩くがいい!)には、
指紋すらつけてほしくないと思ってしまう程・・・
怪しく輝くすばらしい一冊だと思いますね。
(暴言は、もっとエレガントに言ってのける
タンタンにお任せするといたしましょう)
ルドン処女作のリトグラフ連作集「夢のなかで」の
第一葉「羽化」と題された作品なのです。
ルドンの「夢のなかで」が。
また「夢の起源」でした。
まさに、夢の画家と呼ぶべき芸術家なのです。
■■ 夢の起源
わりと大型の展示企画が催されます。
日本の岐阜美術館に収蔵されているため、
展示企画が立てやすいという背景があるのです。
始めてルドンの故郷、フランス・ボルドー美術館に収蔵されている
ルドンの初期作品に加え、
ルドンに影響を与えたとされる、その周辺(師匠など)の画家の作品も
一同に会するという、今までにない企画。
初期スケッチから、生涯最後に描いた未完の作品まで・・・
順を追って閲覧できる、まさしく夢の「起源」を追える
見応えある展示で、わたし大興奮でした。
ボルドーの画家、スタニスラス・ゴランの影響で絵画に惹かれたといいます。
植物学者、アルマン・クラヴォー
大別するとこの2つに分けられます。
ひたすらにリトグラフ(石版画)で
黒い絵画を作り続けました。
一転した、溢れ出す色彩に彩られた
目もくらむ幻想的な絵画を残しています。
こちらは展示会のパンフレット。表紙の花は晩年のルドンの作品です ↓
どっちも好きでたまりません。
黒い絵の方に、ややシンパシーを感じずにいられないのもまた事実。
わたしが愛してやまない、ルドンの「黒い絵」。
その「黒い絵」をルドンがどんな気持ちを込めて、
描いていたのかを考えてみましょう。
■■ 現実に抗う 夢の「黒い絵」
それについては、ルドン自身が晩年に振り返って語っています。
どうも好きではなかったらしい。
自然主義! 現実そのままなんてさ!!
絵の勉強として、または非現実を描くために、
現実の描き方を知るということは大切だ、
とも語っています。
と考えていたのですね。
自然主義的なスケッチをね、けっこう、描いてます。
39歳になったときに、その思いのたけが充満した初の版画集を刊行しました。
その手法を駆使して、ついに彼は「夢」を描く
連作版画集を出版するに至ったのです。
初版発行部数は25部。
現実に対する、かなりささやかな反抗となってしまったわけです・・・・・
グギャ ギャ ギャ !!
敗北では、断じてない。
そうだ。
それから長い年月を経て、
ルドンのこの「黒い絵」たちは、
わたしのような夜の黒さに安らぎを覚える人々に、
深い「夢」と「幻想」の
イマジネーションを与えてくれることとなるのです。
その『夢のなかで』を一部ご紹介しましょう。
こんな絵が11枚 ↓
現実へのファーストアタックには、 ちょうどよい
■■ みんなだいすき 黒い絵
だが、見る人の心の深奥にこだまするささやき声のような、
強烈なルドンの「黒い絵」の連作たちは、
後世多くの人に影響を与え、
ルドンの見た夜と同じ夜を感じた作家たちに、
化学反応のようなものを残していくこととなりました。
ルドンは、もちろんこれを作っただけで
現実に抗う「夢」である、「黒い絵」制作を
あきらめたわけじゃあ、ござんせん。
鮮やかな明るい絵を描くのが主流だった時代にも、
関わらず。
かの幻想文学の大家、
エドガー・アラン・ポーの作品に、
勝手に挿絵を、いや!
挿しリトグラフを作ったりしていた!
あああ、わかる! ルドンのポー愛が
つ、つたわってくるううううウッ!!!
おれも大好きだからなあ! ポー!!!!
↓
黒い絵たちは、実際後に多くの作家に影響を与えました。
「主人公はお前に似ている」と
言われる物語があります。
それは、
ユイスマンスのデカダン小説『さかしま』。
ルドンの黒い絵を見たユイスマンスは、
さっそくたいへん気に入って、
この作品の挿絵をルドンに依頼した、
というのは有名なエピソードです。
デ・ゼッサント氏。
まあ確かに・・・
シンパシー、感じるよね。
インターネットとかSNSとかTwitterとか、
もうたまらなくたまらなく気持ち悪く感じるわたし
ネットで発言したり主張したり、ああ、キガシレナイ!!!
ごめんなさいね、気分、害しちゃったら・・・
郊外に一軒家を買って引きこもり、
そこでひたすら耽美な幻想に耽る、というお話。
このブログにシンパシーをお感じで、
未読の方がいらっしゃいましたら・・・
文庫版もありますので、どうかぜひご一読を)
現実に抗う、
夢や幻想の住人に愛されることとなったのです。
■■ 溶け合う「夢」と「現実」
自然の絵を描き続け、黒い「夢」の絵にたどり着いたルドン。
↓
初の黒い絵である『夢のなかで』の「表紙」です。
「・・・・おや?」と思いました。
察しのいいあなた様なら、もうお分かりかもしれませんね。
ルドンが若い頃に自然主義を学ぶために描いていた木、
そのままなんです。
『夢のなかで』と題した初の版画集の表紙には、
木のわきに「奇妙な人物」が描かれています。
(これまた、いいセンスすぎる!
ああ、ルドン大好きルドン大好き)
ハアハア
そんな、若い頃に描いていた
自然主義的現実の木を、
自身の「夢」の初版画集に
そっくりそのまま描いたルドン。
それとも・・・
現実を描くからこそ、
夢が描ける。
そう言って黒い絵から鮮やかな絵へと
夢の絵画を生涯描き続けることとなったルドン。
その真意は、今となっては想像するほかありません。夢の絵画を生涯描き続けることとなったルドン。
描き続けたルドンは、ほんとうに・・
晩年には、信じられないくらいに
鮮やかで色彩溢れる絵を描く様に、なるのです。
黒い絵の回廊を抜けると、
その鮮やかな色彩の回廊へと続きました。
晩年は、まるでルドンは、
現実と夢が溶け合っていた風景を
見ていたのではないか、と感じたほど。
またいつか別の機会に、じっくりお話したいものです)
あなたさま!
このマニアックアングラな書架のコラムには、
やはり黒の絵がふさわしい
とお考えですね。
ええ、ええ、わかっておりますとも・・・
と、言いつつも、
そんなあなただって、
こんなアングラのボトム、
夜の底のようなブログを・・・
しっかり読みに
いらしているでは、ありませんか。
そんなあなた様でしたら、きっと
ルドンの絵をみて、何か感じるものがあったはず。そんなあなただって、
こんなアングラのボトム、
夜の底のようなブログを・・・
しっかり読みに
いらしているでは、ありませんか。
そんなあなた様でしたら、きっと
今後も、ぜひどこかで展示がありましたら、
足を運んでいただいて、
この夜が凝縮したかのような、
「夢」の黒い絵を、
眺めてみていただければ幸いです。
“ 黒を尊重せねばならない。
何ものも、黒を汚すことはできない ”
オディロン・ルドン
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