2013年8月13日火曜日

【フジカ*火曜日の書架】 夢 と 現 実 の 二 重 性


火曜日の
                     









   作家へ、敬意を込めて





曜日です。

今回は現実二重性・コラージュ実験」と題し、
わたしの愛読書から夢の逸話を
いくつか集めてみました

コラージュで描きだすのは
現実二重性


お気軽にお楽しみください。









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かのアウグスティヌスは、目が醒めている時は
哲学倫理概念や教義に没頭していた聖者だ。
だが、彼の夢の中には、
不謹慎で歪んだ出来事が立ち現れる事実に
驚きを隠すことはできなかった。

「これは自分のなせる業ではなく、
自分にふりかかってきたこと」と彼は言った。

「二つの自分の間には何と大きな相違が!」

司教は自分がの内容に対し、
責任のないことを神に感謝した。

       『数であるものと数でないもの』ロデリクス・バルティウス











思慮深いペネロペイアは言った。
 
 「異国のお方よ、不可解不明瞭な言葉を用いる
  がございます。
  そしてそのが人間に伝えることは、
  果たされません。
 
  には二つの扉がございます。
  一つは角で、もう一つの扉は
  象牙で作られています。

  光沢のある象牙の扉を通ってやってくるは、
  私たちを欺き、
  私たちに意味のない言葉をもたらします。

  磨かれた角を通って出てくるは、
  それを視る人間に真に実現するものを
  伝えるものでございます」

                 『オデュッセイア』第十九巻 





の扉は二つあり、それらの一つは
角で出来ていると言われ、
その扉を通り、いとも容易く真実の影が出てくる。

もう一方は、白い象牙に巧みに彫刻の施された
つややかな扉。
それを通して死霊たちは、
この世界に偽りのを送り届ける。

                   『アイネーアス』第六巻












何故、あなたは内なる命令ととを比較したりするのか?
それがと同じ様に莫迦げていて、
脈絡がなく、避けがたいもので
繰り返すことができず、
根拠のない喜びや恐怖のものであり
伝えよう、と躍起になっても
全体を伝えることができないものと・・・
おそらくはお思いなのではないか?

             『八つ折り版第四ノート』フランツ・カフカ










我々が疲れきり、ぼんやりした状態で
絨毯(その図柄には決して同一のものは存在しない)を
眺めて思うことは、
それがおそらくは
地上の生の一断面であろうということだ。

裏側の横糸は、この世のもう一つの側面を描き出す。
(そこでは時間と空間が消えているか、
 あるいは両者が屈辱的に
 または華々しく誇張されている)

つまり、裏側の横糸はを織り成している。

絨毯職人でフェルドウシー広場の前で商売をしている
モイセス・ネマンは、テヘランでこのようなを視た。


         『あるとるに足らぬ者の回想』ガストン・バディーリャ











子供の頃、バートランド・ラッセルは次のようなを視た。
寄宿舎の自室のテーブルの上に置いておいた用紙の中に、

 「裏側に書いてあることは本当ではない」と
  書いてある一枚の紙を見いだした。
 
  裏返してみると、
 「裏側に書いてあることは本当ではない」と
  書いてあった。

彼は目を醒ますとすぐにテーブルの上を捜してみた。
・・・その紙はなかった。


       『数であるものと数でないもの』ロデリクス・バルティウス













この世のものすべては二つに分かれている。

一つは目に見えるものであり、
もう一つは目に見えないもの。

目に見えるものは、
目に見えないものの投影にすぎない。

                     『ゾハル』第一章三十九節











現世はとなり
は現世となる



                           『悪魔くん』









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翻訳不可解なが告げる、二重性の暗喩。
実に、を生きる
わたしたち人間らしいビジョンです。

あなたもわたしも・・・
もしかしたら本当は存在などしていなくて、
眠る誰かが、視ているだけの存在、
なのかもしれませんね。




それでは、また曜日に!


サヨウナラ





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