2012年6月14日木曜日

ネットの「正義」の話をしよう

こんばんは、空手家でゲームデザイナーの丹沢です。

最近ちょっと考えてることを書こうと思います。


僕自身は遵法意識は強いほうだし、社会生活を送っている以上、ルールを破った人がそれ相応の罰を受けることは必要なことだと思ってます。

ですが、その前提で見ても、最近のネット上での「炎上」や「バッシング」の中には、やり過ぎなものがあるなぁ、と思うわけです。


「こらっ」と口頭注意で済むことや、ゲンコツで殴って終わりで良さそうなことも、、全部まとめて斧でぶった切っているような印象を受けてゾッとすることがあります。社会をより良くするための監視網というには過敏すぎるし、追求が徹底的すぎる。それが「正義の実現」という神の目線で行われることの幼稚さ、ネットという世界の未成熟さに不安になるのです。

もちろん、緊急性のある事件において、ネットでの情報共有が非常に有効であることに議論の余地はありません。しかし、例えば「未成年の喫煙」を禁じる理由は、社会秩序を守るためというよりは、未成年の健やかな成長を守ることです。喫煙ツイートから彼の実名やプライベートを晒し、学校やバイト先に電凸し、生活をめちゃくちゃにすることに何の意味があるのでしょう?時にそれは、彼らから更生のチャンスすら奪いかねません。


この問題を今、考えなければならない理由として「取り出しやすい場所に情報が残る」というネットの特性があります。2chで本名を晒され、まとめWikiが作られ、すべての情報がGoogle検索一発で分かるようになることは、その人の将来にとって非常な脅威です。それがどんなに些細なことだとしても、人事担当者や結婚相手、果ては自分の子供や孫までが、その情報に簡単にアクセスできてしまう。

それはやはり過剰な罰のように思います。


ネットの自由はできる限り守られるべきですが、それがアンダーグラウンドな世界を飛び出してリアルな「力」を持ちだした以上、制御するための一定のルールや制約、「新しい正義の設定」が必要になってきます。


願わくば、ネットの「知」が成熟し、秩序に向かう未来を想像したいものです。



と、柄にもなく真面目なエントリーになってしまったのでちょっとゲームに絡めて考えてみたいと思います。


「正義」というのはゲームのシナリオを作る上でも避けては通れないテーマでもあります。


主人公の信じるもの、冒険の目的、打ち倒すべき「悪」の設定。

そこには必ず、何らかの「正義」の定義が必要です。


僕が昔シナリオを手がけた「ロストマジック」というゲームでは、登場する7人の賢者たちの色んな「正義」のぶつかり合いをテーマにしました。ゲームの性質上何らかの理由で「戦い」を起こす必要がある。でも、彼らは知の体現者たる「賢者」なので、山賊のような乱暴な理屈で戦ったりはしない。とすれば、話し合いでは解決できない「正義」同士のぶつかり合いを描くしかないなぁ、というゲーム的な必要性があったわけですが、まあ、今読み返すとかなり説教臭いシナリオで赤面ものです。

同じくシナリオ書いた「SPACE INVADERS GET EVEN」というゲームでも、うっすらと「正義」に対する問いかけみたいなものを入れています。まあこちらはシューティングなのでそんなに深くは描けてませんが。

そんな風に、ゲームや小説においては自由に色んな「正義」を描けるわけですが、説話的な正義と悪や、古式ゆかしいロウ、カオス、ニュートラルの切り口ではなく、今の時代ならではの新しい「正義」を切り口にしたシナリオを作ってみるのは面白いかもしれません。



でも、やっぱり説教臭いかな?(笑)






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