2012年5月25日金曜日

つまらないゲームのショックで息とまる



おはようサンバ。木村です。

さいきん、ゲームがあまりにつまらないと
「息が止まるかも」と思うことがある。
これは実はデジタルの濁流のせいなんよね。


かれこれ1年くらい、XBOXとかPS3のゲームを遊ばなくなってしもうた。
もともと僕は、そんなにゲームを遊びまくるゲーム制作者でもなかったんだけど、、
ここのところ、まったく遊んでない。


、、、で、今はなにで遊んでるかというと
パソコンやIPHONEでゲームを遊んでるわけです。


これがなかなか、お作法がちがっていて困ってしまう。
なんというかドキドキのお作法がちがうんよね。


例えばパッケージゲームの場合は、、

昔昔の場合)
発売日わかった>予約する>電車にのる!>店員さんに話しかけて、予約名を言う。>電車にのる、説明書読む>帰宅>遊ぶ>

ちょっと昔の場合)
アマゾンで買う>1日まつ>クロネコヤマトが来る。>パッケ開く。説明書読む>遊ぶ

…と、遊ぶまでのあいだに、こんなにステップがあったわけです。


たぶんだけど、脳(?)の作用ってあったんだろうなー
実はつまらないと思っていても、いつのまにか、ちょっとがんばって遊ぼうみたいな精神がこのステップの間にうまれてたんじゃないかな。ほんと、無意識に。



で、今はどうなってるかというと

WEBでタイトルを知る>アップルストアでDL>ちょっとまつ>遊ぶ。

だいたい5分から10分で遊ぶところにたどり着く。
期待する時間や、ドキドキする時間、パッケージの封をあける時間がない。
ないのよね、まったくない。。

なんだろうね、不思議なこの早さ。


最近はなにもかもが早い。ツイッターやフェイスブックのフィードもどんどん流れていくし、友達がどこで何をしてるのか、何をかんじてるのかとかも流れていく。
知って良かったと思うこともあれば、知らないほうがよかったと思うこともある。


昔は出会ってお茶をすするまで分からなかったのに、
今はなんでもかんでもドガガガガーっと画面に流れてくる時代。
感情が文字になってディスプレイに流れてくる。
ある意味データテレパシー、デジタルテレパシーの時代なんだ。
テレパシー(懐)


そして、今僕の大好きなゲームというジャンルも
データになって、すごい勢いで僕の手元まで流れてくる。
濁流。激流。
データを水にして神田川にながしたら、たぶん世界は大洪水になるんじゃないかな。



きっと、ゆっくり流れてた世界は終わってしまって
すべてが早送りの世界になってしまったんだ。


だからなのかな?
その「早さ」のせいなのかな?
ゲームをダウンロードして遊ぶ昨今の流れだと、
つまらない場合のショックに濁りがない。


“澄み切ったつまらなさ”が手元にとどく。


僕の中にあったポジティブな心のバイアスがかからないで
むっちゃピュア。ピュアなつまならさに飲み込まれてしまう。


DLする、遊ぶ、5分経過、あーつまらん! 
900円もはらっちゃたよ!
100円のゲーム9回ダウンロードできたのに!


みたいな不満が5分でマックスになって、ぶちまけずにはいられない。


もしゲームをあそんで、つまらなかった場合は、
そういう、濁りのないつまらさなが僕の目の前を覆い尽くす。


これがデジタルの濁流だ。


つまんなくても、くだらなくても、
ぐっとこらえて生きていくみたいな僕の精神はどこに流れていっちゃったんだろう。
そんな気持ちはもう、意味のないことなのかな?
川にながれていっちゃったのかな?

この茶色い濁流に飲み込まれちゃったらさ、
僕はいつも、一瞬、息が止まっちゃいそうになるんよね。


だから、どっかで息継ぎしないとね。

溺れないように。











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